shiba7編集室編
祈る印の神の折敷
=京に隠れなき桔梗染屋、わら人形の夢物がたり=
本邦初の経済小説という枕につられて日本永代蔵を読み進むうち、成功事例が20章、倒産や失敗にからむお話が10章あり、失敗例は身につまされて、気も滅入ることから成功事例のみを最初岩波文庫の旧版を現代語訳、角川文庫の現代語版を見つけてからは各章のダイジェスト版を記録しておこうと始めた作業なのですが、さすが俳句の神様の筆だけあって文章の省略ができません。一部分でも省略すると全体のイメージが壊れてしまうような感じがします。ということで、今回もなるべく自分が読みやすい文章に直すというような感覚で模写を進めます。パターンとしては西鶴翁が世の中を見渡し、結構薀蓄を述べてからお話が始まるのですが、今回は、前口上は少なく物がたりに入ります。
京都清水寺のご神前にかかる「奉・掛御宝前」と書いた大絵馬。これは呉服屋のなにがしが銀百貫目の身代を祈り、その願が成就したので、その名を記してかけられたものだという。今その家の繁盛を以前と比べれば、一代のうちに金銀もたまればたまるものだと、室町の呉服屋仲間のうちでもっぱらの評判となっている。人は皆欲で固まった世の中であるから、若恵比寿・大黒殿・毘沙門天・弁財天などの福の神に願いをかけ、打出の小槌に取りついて元手を得るように願うが、今は世知辛い時代になったので、そんな願いはかないがたい。
ここに桔梗屋という貧しい染物屋の夫婦があった。商売を大事にし、正直一途に工夫をし、少しも休まず働くのであるが、毎年暮には餅の手当ても遅れ勝ち、正月の飾り物もなくて元旦を迎えることが悔しい。節分の夜は吉夢をねがって宝船を敷いて寝たり。福は内にと大豆もずいぶんまくのだが、その甲斐もない。あまり貧しいので分別が変わって、「世間ではみな福の神を祭るのがならわしだが、おれはひとつ人の嫌っている貧乏神を祭ってやろう」と、おかしげなわら人形をこしらえて、渋帷子をきせ、頭に紙子頭巾をかぶらせ、手に破れ団扇をもたせたみぐるしい姿を松飾りの中に安置して、元旦から七草の日まで精一杯もてなした。
貧乏神はうれしさのあまり、七草の夜亭主の枕元にゆるぎ出て、「わしはこれまでの長い年月貧家をめぐる役で、身をかくしてさまざま悲しいことの多い家の借銭の中に埋もれてきた。いたずらをする子供を叱るにも、貧乏神めとあてこすりをいわれたものだ。かといって金持の家へ行くと、ふだん丁銀を秤る音が耳にひびいて、癪の虫がおこるし、朝晩の鴨鱠や杉焼きの贅沢料理が胸につかえて迷惑する。わしは元来その家の内儀についてまわる神だから、奥の寝間にも入るのだが、重ね布団に釣夜着、それにパンヤのくくり枕などがこそばゆくてかなわないし、白無垢の寝巻きにたきこめた香も鼻をふさぎ、花見・芝居行きにビロード窓の乗り物にゆられて、めまいがしてしまう。夜は蝋燭の光が金襖に映り、まぶしくてかなわない」
「それよりは貧乏な家の灯火の、十年も張替えない行燈のうす暗いのが、どんなによいかわからない。夜中に油を切らして、女房の髪の油を間に合わせに差すなど、そうした不自由な様を見るのが好きで、毎年暮らしてきた。だれ一人相手にしてくれる人もなく、投げやりにされてきたので、依怙地になって、いよいよそんな家を衰微させていた。ところがこの春そちが心にかけて、この貧乏神を祭ってくれ、こうしてお膳の前に座って物を食ったのは、今までにこれがはじめてだ。この恩を忘れることはできぬ。この家に伝わっている貧銭を、二代長者の奢り者にゆずり、この家をたちまち繁盛させてやろう。それ見過ぎの業はいろいろあり、柳は緑、花は紅」と、二度、三度、四、五度とくり返し、あらかたな御霊夢であった。
桔梗屋は覚めてもこの夢を忘れず、有難く思いこみ、「自分は染物屋なのだから、くれないというお告げはまさしく紅染めのことであろう。けれどもこれは小紅屋という人が大分仕込んで、世の中の需要をみたしている。そればかりか近年は砂糖染を工夫した者もあり、深い知恵物の多い京のことだから、なみなみの事でもうけるのは思いもよらない」と、明暮れ工夫をこらしていたが、蘇芳(すおう:黒ずんだ紅色染料)で下染めして、その上を酢で蒸しかえすと、本紅(ほんもみ)の色と少しも変わらない。これを秘密にして染めこみ、みずから荷物をかついで江戸に下り、本町の呉服屋に売って、京への上り商いには奥州筋の絹と綿を仕込み、さす手ひく手に油断なく鋸商いをして、十年たたぬうちに千貫目余の金持となった。
この人はあまたの手代を置いて万事をさばかせ、その身は楽しみを極め、若い時の苦労を取り返した。これこそ望ましい人間の身の持ちかたである。たとえ万貫目持っているからといって、老後までもその身を使い、心を労して世を渡る人は、一生は夢の世と悟らぬもので、いくら金があっても無意味であろう。
さて家業はどういうものかというと、同じ武士も大名はそれぞれきまった世襲の知行があるのだから、別に出世の願いはないわけだ。けれども一般の侍は、親ゆずりの知行を取って、そのまま楽々と一生を送るというのは、武士として本意ではない。自分の力で奉公を勤めて、官職俸禄を進めてこそ出世というものである。町人も親にもうけためさせ、譲り状1枚で家督を相続し、信用を築いておかれた商売を守り、または家賃や貸銀の利息を勘定するのみで、あたら世をうかうかと送り、二十歳前後から無用の竹杖をつき、置頭巾をかぶり、長柄の傘をさしかけさせて歩いたり、世間の思惑をかまわずに分に過ぎた贅沢をする男を見うけるが、いくら自分の金を使ってするにしても天命知らずというものだ。
人は十三歳までは分別のない子供だからいいとして、それから二十四、五までは親の指図を受けて働き、その後は自分の了見で稼ぎ、四十五までに一生こまらぬだけの基礎を固めておいて、遊楽することに決まっている。しかるに何事だ、若隠居などと称して男盛りの勤めをやめ、大勢の召使に暇をやってほかの主人に仕えさせ、将来の出世を頼みにしていた甲斐もなく、難儀な目にあわせる奴がある。
町人の出世というのは、召使の者を取立てて女房を持たせ、その家の暖簾を大勢に分けてやることであって、これこそ親方たるものの道である。一体三人暮らしまでは、世帯を張っているとは言わない。五人暮らしから世渡りというのだ。召使の一人も使わぬ人は、世帯持ちとはいわない。旦那と呼ぶ者もなく、朝晩の食事も給仕盆なしに手から手へとでは、いかに腹が膨れるからといって口惜しいことではあるまいか。
かように同じ渡世といっても、格別の違いがあるものだ。これを思ったら暫時も油断をしてはならない。金銀はまわり持ち、念力にまかせて溜まるまいものでもない。この桔梗屋夫婦は、自分たちだけで働き出し、今では一家七十五人を指図する身となり、願いの通り大屋敷をかまえ、七つの内蔵、九間の座敷、庭には万木千草のほかに、銀のなる名木がはびこっており、住んでいる所はしかも長者町である。
「日本永代蔵」井原西鶴著、岩波文庫&角川文庫版より抜粋
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