祈るしるしの神の折敷(shiba7編集室)

本屋さんで浅田次郎の傑作、「憑神」を立ち読みしていましたら急に日本永代蔵の巻四「祈るしるしの神の折敷」を思い出しました。

貧乏な京染職人が七福神など福の神に豊かになれますようにと願い事をするが万時叶わぬ反動で、ある正月の7日間、わらで作った貧乏神を一心不乱に祀ったといいます。

感激した貧乏神が夢に現れ感謝の印に商いのヒントを伝授した。それをもとに新製品の開発に成功した京染職人は大成功を収める。当時の長者番付に載るくらいの急成長を見たという。

貧乏神も神は神、邪険にされた腹いせに依怙地になって人を貧乏に陥れたが、偏見なくもてなす人には繁栄をもたらす。人は見かけによらぬといいますが、神様も見かけによらぬものです。

浅田次郎作「憑神」に出てくる神様は、疫病神といって貧乏神よりさらにしつこく、まず人を素寒貧にしなければ疫病神自体が抹殺され、さらに上役は必ず取り付いた人をあの世へ送らなければなりません。やはりどうしてもお付き合いするならば、貧乏神の方を選びたい。

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平安丸の舵輪2

 日本郵船博物館に展示されている平安丸(Ⅱ)の舵輪に見とれているうちに、ふと平安丸(Ⅱ)の(Ⅱ)が気になってきました。この船が二世ということなら最初の一世があったはずです。いったいどんな船でしょう。非常に興味がわいてきました。幸い博物館内には資料室があり、船に関する書籍の販売コーナーもあります。 

 確かに平安丸一世は存在しました。しかも二世よりはるかに船体も大きく豪華です。総トン数11,614トン、主機はディーゼル二基11,000馬力、速力15ノット、竣工昭和5年1124日、大阪鉄工所 桜島工場。昭和512月にはシアトル航路に就航しています。

その後、太平洋航路の花形定期船として航跡を残しましたが、昭和168月、日米の関係悪化と共にシアトル航路最後の航海を終了し、同年1012日、平安丸一世は海軍に徴用され、特設潜水母艦となります。その後の行動は明らかではありませんが、昭和19217日午後110分、トラック港内において米軍の空爆を受け、必死の排水作業の甲斐なく、翌18日午前930分に転覆、沈没しました。不幸にも1名の乗組員が殉職されましたが港内で総員退去のため他に死傷者はなかったようです。

平安丸一世の写真が残っていますが、堂々の貨客船です。およそ戦火に似合わぬ船名を持った船ですが、米軍機の直撃弾によりシャフト・トンネルと六番船倉に大穴があき、そこから激しく海水が流入したとの事です。さらに2段、3段の攻撃により大火災が発生し、総員退去となりました。

戦後初めて建造された貨物船に平安丸と命名したことは、当時の戦争は真っ平という時代の気分を象徴しているといえますし、二度と戦争を起こさないという願いが「平安丸二世」にはこめられていたのだと思います。

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平安丸の舵輪

私のお気に入りの散歩コースは横浜の山下公園の周辺です。海岸近く、中通りにある昭和11年完成の横浜郵船ビルは、子供のころから目にしていますので懐かしい。映画「3丁目の夕日」が昭和30年代を思い出させるということで大人気ですが、こちらは「海岸通りの夕日」というレトロな感じ、さらに潮の香りが漂います。しかも映像の世界ではなく、目の前にデンとある重量感には迫力さえも感じます。

この横浜郵船ビルの1階は、現在「日本郵船歴史博物館」として公開。この中に入ると、日本郵船創立以来120年の歴史をパノラマで見ることができます。もう数十回となく訪れていますが、展示替えなどもあり、飽きるということがありません。また数多くのモデルシップや記念物、見ごたえがあります。そんな中で、ある日目にしたのが、舵輪です。ガラスケースに入った直径1メートルほどの舵輪が展示室の隅にありました。最近の新しいコンテナー船や客船の舵輪は、小型になり、さらには飛行機の操縦桿のような形態のものが使われているということです。しかし操船のシンボルとしての舵輪はこのぐらい大きいほうが良い。確かに本物だと感じますが、非常にきれいで傷もない。スペアで使われなかったせいなのか、プレートを見てみると「平安丸の舵輪」という表示があります。

添付されているプレートには、次のような説明書きがありました。

「この舵輪は、平安丸(二世)に装備されていたものです。平安丸は、第二次大戦後わが社が外国航路用の第一船として第5次計画造船により1951年(昭和26年)17日、三菱重工業長崎造船所で建造した船です。

 以来、北米航路、ニューヨーク航路、欧州航路等々と、戦後のわが社の各定期航路の再開にあたってその多数の航路に本船は航跡を残しました。

 在社19年余、多大の活躍をした平安丸は1970年(昭和45年)65日第62航を終え、わが社での使命を全うして、パナマのパウル・クラウン社に売却されました。戦後わが社の再建を記念してこの平安丸の功績をたたえ、舵輪を末永く保存することとしました。」

      STEERING WHEEL         HEIAN MARU  Ⅱ

This wheel came from Heian maru (Ⅱ)After world war ,Heian maru was built as theFirst ocean going vessel on7th Jan 1951at Mitsubishi Nagasaki dockyard. Her building was under the 5th postwar shipbuilding program .She was engaged in such trades as North America,New York,Europe etc.,as NYK reopened services one after another After 19 years of active voyarge on 5th jun.,1970 ,and was sold to Poul Crown Co. of panama .Memorializing post war reconstruction of NYK and the part Heianmaru played in it, her steering wheel is to be kept here permanently.

(NAKAMURA`S URAGASTEERING TEREMOTOR TOKYO KIKAI CO.,LTD)

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横浜のおもかげ

 横浜生まれの横浜育ちと思い込んでいましたが、3歳まで母方の実家の茅ヶ崎にいました。戦争疎開ということですから茅ヶ崎生まれです。15歳までの横浜は、高度成長の時代、東横線の桜木町、高架線路の向こうには、三菱造船所、横浜ドックのガントリークレーンが林立していました。

 今は埋め立てられて見る影もなく、当時の面影はありませんが、高島埠頭での夜釣りや
三渓園やヨットハーバーでの水遊びが思い出されます。当時は横浜港内の海水もきれい
で、貯木場でも泳げました。やはりちょっと汚かったかもしれませんが、気にならない程度。 高島町から桜木町にかけて、三菱ドックのあった辺りが埋め立てられて「みなとみらい21」になっています。ランドマークなど高層ビルが建設され、水辺が遠くなってしまいました。
 赤レンガ倉庫や税関、シルクホテルなど、かすかに昔の名残を残す建物もありますが、
横浜港の景観は激変しています。雰囲気が変わってしまった。本牧から山下町にかけて
の埋め立てが横浜という港町の容貌を変えてしまった。
 それでも横浜散歩は大好きで、よく桜木町の駅に降ります。ここから鉄橋を渡ってワー
ルドポータースへ、一歩進めて赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園を経て中華街、そこか
らまた桜木町へ帰ります。もちろん、伊勢左木町から野毛を通って帰るkともありますが
海岸通の日本郵船横浜支店の前を通ることが多い。
 昭和11年8月竣工の横浜郵船ビルの正面、16本のコリント式円柱が昔と変わらない
表情を見せています。横浜最後の古典主義様式の建築物。この建物の前に立つとなぜ
か子供の頃の感情にタイムスリップしてしまいます。むやみに懐かしい。

 横浜郵船ビルの1階は、現在「日本郵船歴史博物館」になっています。ここでは、日本
郵船創立120年の歴史と海運について学べます。日本の外航海運という産業もかなり壮
絶な時代を生き抜いてきています。パネルやモデルシップなどの展示物、ITライブラリー
などで多分好きな人なら1日いてもあきない。ここはお勧めです。

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55歳のIT入門

55歳で会社を辞めて、さあどうする。もちろん会社を辞めたら独立だ!と長いこと思っていました。自由業、拘束されず思い通りの仕事をする。なかなか魅力的なイメージです。

 とりあえず3年計画、石の上にも3年、3年経ってモノにならなければ方向転換。などと思っていました。ところが実際に会社を辞めて自由業の世界に一歩足を踏み入れますと、これがなかなか厳しい世界。実力の世界です。先輩や稼いでいる人の様子から自分のレベルが判断できます。読み・書く・話すは、当たり前。読み・書き・パソコンの時代に足りないのがやはりなんといってもITスキルでした。

 30年間の被雇用者の考え方をリセットしなければならない。最初の1年間は捨て牌で、とにかく人間改造に専念しよう。そんな時、ハローワークに置いてあるパンフレットが目につきました。「IT活用型営業パーソン養成講座」です。ネーミングが気に入って早速お願いしました。雇用・能力開発機構が委託している「横浜電算学院」のコースに3ヶ月、同じく「LAN構築速習コース」に1ヶ月、合わせて4ヶ月通いました。

 やはり行ってよかった。研修前は、ワードさま、エクセル様パン、パンと拍手を打って使わせていただいていました。このIT研修の後は、PCを使いまわすという感覚になっています。もちろん感覚だけで、達人が見れば何やってんの、ということですが。

 やはり基礎が大事。なんにしても、独学だと最初の最初が分からない。「横浜電算学院」の講師の方はその辺を心得ていました。とにかく理屈抜きで、基礎編をすべて実習させてくれたと思います。テキストは斜め読みで、キーボードを叩かせる毎日です。これがよかったと思います。キーボードアレルギーは、完全に解消。今、頂いたテキストを引っ張り出して読んでみてもなんとなく自習できるようになっています。

 また、最大のメリットは無料で通わせていただいたことでしょう。入学案内で見るとかなりの額ですし、他のIT研修でも自分でということになると結構なお値段になります。ムダ、ムリ、ムラなくIT研修をさせていただきました。感謝です。

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55歳の文章教室

 東京都内の初台に勤務先がありましたので、川崎から渋谷経由、代々木公園下車で15分ほど歩きます。通勤途上に「文章と編集の学校」の看板があり、それを横目で見ながら朝晩通勤していました。会社退職が決まったある日、フラフラとその学校に寄ったのはなぜでしょう。パンフレットをもらい、実際の授業は渋谷宮益坂の本校で行われていることを親切に教えてもらいました。
そもそもなんで文章教室の門をたたいたのか。・・・やはり不安でしょうね。・・・漠然とした不安。とにかく会社を辞めたら自営業、独立を志すと決めていました。ところが読み書きパソコンの時代に自分の持っているスキルのレベルが低すぎる。まず基本の読み書きを何とかしよう。読む方は好きなものですから、1日中図書館にこもっても苦にならない。ところが諸々の文章作成が非常につらい。30年近く輸入繊維の問屋さんに勤務していましたから、商売の基本、卸と小売の商売のあらまし、あるいは対人折衝の基本などは、ある程度わきまえています。営業畑でもどちらかというと足を使う営業が中心でしたので、まとまった文章を書くことが苦手なのです。要するに頭脳労働に弱い。
社会人に文章を教える場所としては、社会人大学や民間のカルチャーセンターがあって、結構年配の方も通っているというイメージがあります。ただ、あまり遠いと挫折の危険があります。春4月、最初に縁のあったこの学校の説明会に出てから、入学手続きをとりました。
 

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55歳の不安

   横浜市西区久保山の市営墓地、藤棚商店街の方から入ったところに柴原家のお墓がある。55歳の夏に、お墓参りに行った。いつものとおりお線香とお花をお供えし、水でお墓を清めた。古い墓石に水がしみこみ、埋葬者の名前が浮いてくる。昭和36年没、享年57歳、軍一郎、すごい名前だ。当時の私の年齢は13歳。

私の後ろに子供が二人いる。上が8歳、下の子が5歳だ。中学校2年生だったあの日の朝、病院から帰って障子の奥に寝ていた親父が名前を呼んだ。朝急いでいた私は、嗚呼と言って家を飛び出した。それが親父の声を聞いた最後だった。

 お墓の前で手を合わせていると、急に思い切りの不安が沸いてきた。今俺が死んだら、親父の死んだ年齢まであと2年。そして死んだら。

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俳句のココロ

最近の和ブームで、俳句や川柳など、日本の古い言葉の文化が見直されています。

「俳句は日本語のエッセンス、川柳はまた言葉の息抜き」というコピーに引かれて
俳句の添削を一年受けました。テキストの中で印象に残った西の西鶴、東の芭蕉、
現代俳句を創った正岡子規。俳聖の詠んだ句の特徴はわかりやすさ。

そこで、松尾芭蕉、奥のほそ道、紀行の折の発句を4題。

奥の細道、序文 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

○夏草や兵どもが夢の跡

○閑さや岩にしみ入蝉の声

○五月雨を集めて早し最上川

○荒海や佐渡によこたふ天河 

松尾芭蕉を取り上げれば、西の西鶴を紹介しないのは不公平。ということで西鶴の
俳句を探しました。ところが意外とこれはという句が少ない。井原西鶴はどちらかと
いえば小説家、まず「好色一代男」などの好色ものや武家もので、浮世草子を手がけ、
「世間胸算用」、「日本永代蔵」などでは、商人世界での人の生き様、商売上の成功
事例、失敗事例を多く描きます。

「日本永代蔵」の巻一、「初午は乗ってくる仕合」の冒頭の記述に、人間、長く見れば、
朝をしらず、短く思えば、夕におどろく。されば天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、
浮世は夢まぼろしといふ、 とあります。これは芭蕉の奥の細道の序文「月日は百代の
過客にして、行きかふ年も又旅人也」と同じ文脈を持っています。

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55歳のブログ入門

読書は最も安上がりな娯楽だと思う。ハードカバーは図書館で借りる。購入はもっぱら文庫本。古書店めぐりも楽しい。もっとも、気に入った著者に当たって追っかけがはじまると、お金に糸目は付けない。一時ハードボイルドに熱をあげ、ハメット、チャンドラー、マクリーンと追っかけまわしてほとんど全部の著作を読んだ。その前は古典だ。「千夜一夜物語」がお気に入り、スタンダール、バルザック、作者の名前だけが記憶にある。

55歳になったとき、なぜか急に文章がうまくなりたいと思った。理由はわからない。とにかく変な熱情が沸き起こった。そう沸いてきたのだ。昔、「博士の異常な愛情」という映画があった。今回は、「おじさんの突発的で変てこな熱情」と言ったらよいかもしれない。すぐ冷める、と思っていた。ところが微熱が続いている。

 「文章入門」と題する書籍が多いことからも、「書きたい病」に罹る人類が多いことがわかる。丸谷才一「文章読本」、福田恆存「私の国語教室」、多田道太郎「文章術」、本田顕彰「文章作法」、水上勉・瀬戸内寂聴「文章修行」、スティーヴン・キング「小説作法」、ローレンス・ブロック「ベストセラー作家入門」、ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」、など書き切れないくらいの類書が積読になっている。

 観念的あるいは自らの体験を語るというもの多いなかで、プロット、テーマ、背景描写、人物描写や文体について具体的に分解して教えているのはこの本だけだった。それが、ディーン・R・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」。これは面白い。

「俳句は日本語のエッセンス」という俳句通信講座のキャッチフレーズにつられて1年間俳句の添削を受けた。だが、まだ俳句のココロがわからない。季語と切字と五七五、日本画でいえば風景描写を主にするのが俳句なり。同じ五七五でも、川柳は人物画で季語はいらない。

西の西鶴、東の芭蕉、現代俳句の始祖は正岡子規なのだという。俳句は本当に入門コースに入ったばかり、ぽやっとしていると時間ばかりが過ぎてゆく。ブログを立ち上げて書く習慣を身につけよう。文章修行は死ぬまで続く、俳句のココロはそのうち分かる。とにかくここに書いてみる。

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